Anemone隔離エリア

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Mechanized-Memories -in the end- 意訳と書いて自分の恥晒しと読む

炎の王国書こうと思ったけどエヴァ見てたらそっちに気が持ってかれたから寄り道で意訳掘り返して適当に作ってみる(痛い)

 

20th買う前に普通のMechanised Memoriesの和訳を高校時代に途中まで作ってたけど、追加歌詞が書き加えられたin the end(結局とかそういう感じの意味)を見るに結構良い線行ってたなと感心した。

 

 

あの世界、設定が浅いのか深いのか分らなくていくらでも妄想できるから、アーマードコアの考察やってたら切りが無い。ということで意訳開始(太字が追加歌詞)

※悲しいことに手元に20thの小冊子がないので歌詞はほぼ耳コピと記憶 

Scary,fantasy

怖いんだ

All is fantasy

全てが幻であることが

 

Scary,scary
So I'm scary (scary, scary)

怖ろしい

そう、怖ろしいんだ

So I'm scary (scary, scary)
僕は怖くてたまらないんだ

Wake up, to keep the speed of sound

さぁ、目を覚ませ、引き金を引き続けるんだ
Crack the code that's written by myself

自分の心を欺くのはもうやめよう
Dirt and dust damage your parts

お前の手はもう汚れているんだ
Time is too short to count aloud

目を背けるには、もう遅いんだよ

Wake up!

さぁ起きろ!
Like a sleepless owl

まだそうやって偽るつもりかい!
Control your mind to alive

正しくあろうとする意味なんてあるのか?
Here is an invisible cave

彼女はもう失われたのにさ
Wake up and run if you want an end of the dark

もう終わる世界なんだ、何も我慢しなくていいんだよ


Oh, I'm scary

あぁ、怖ろしい
So I'm scary

怖ろしいんだ


All that I see

理解したんだ
Now I'm scary

だからこうして恐れているんだ

All is fantasy (oh I'm scary)

全てが幻だ(あぁ、怖いんだろう)
All is fantasy (now I'm scary)
全て、夢なんだ(それでも怖いんだろう)


Minute of the end and does it still hurt?

痛んでいるのは君の良心だと思うかい?
In a rainy day, let's fight for counter

復讐を始めようか、太陽は隠れたよ
On the silent way, when do you get calling?

静寂の中から聞こえてくるだろう?
Look into the void, it's scary!

怖いだろうねぇ、これが君の本当の姿なんだからさ!

 

Minute of the end and does it still hurt?

いつまでも引きずるなんて、まさに幻肢痛だね
In a rainy day, let's fight for counter

君の心はもう、正しくあることはないよ
On the silent way, when do you get calling?

ほら、耳を澄ませて。聞こえるだろう?
Look into the void, it's scary!

それはそれは怖ろしい、闘争を求めるあの声がさ!

 

Wake up, to keep the speed of sound

目を覚ますんだ。まだ終わっちゃいない
Crack the code that's written by myself

戦場に魅入られても、まだ歩みは進められる

Dirt and dust damage your parts

その手が血で塗れ、心が闘争を求めようと
Time is too short to count aloud

血に堕ちるのはまだ早いんだ

Wake up!

目を覚ませ!
Like a sleepless owl

まだ息はあるんだろ!
Control your mind to alive

自分の生き方くらい自分で決めるんだ
Here is an invisible cave

未来なんてもう見えなくても
Wake up and run if you want an end of the dark

好きなように生きて、好きなように死ぬといいさ


Scary, scary

怖かった。痛かったんだ

 

Minute of the end and does it still hurt?

引き金を引いたときから、ずっと痛かったんだ
In a rainy day, let's fight for counter

炎が機体を覆い尽くすとき、ナニかが手を伸ばしてきた
On the silent way, when do you get calling?

耳を澄ませたら声がしたんだ
Look into the void, it's scary!

黒い鳥が、僕を見つめていたんだ

 

Minute of the end and does it still hurt?

引き金を引いたときからずっと痛いんだ
In a rainy day, let's fight for counter

それでも、この雨の中進むしかないんだ
On the silent way, when do you get calling?

耳を澄ませろ、それでもまだ聞こえているか?
Look into the void, it's scary!

戦場に囚われた心の悲鳴が


amen,amen,gospel amen

来たれ、来たれ、光明よ来たれ

amen,amen,gospel amen

来たれ、来たれ、福音よ来たれ


amen,amen,gospel amen

叫べ、叫べ、魂の求めるモノを

amen,amen,gospel amen
願え、願え、死に行く傭兵達の安らぎを

 

 

 

 

完全にマギーを殺したときのある種のトラウマが反映されてる

若いときの自分にとって短期間でも仲間だったオペレーターを倒さなくちゃならないのは辛かったんだよなぁ・・・

ジュラシック・ワールドは傑作です。

Welcome to Jurassic World.

 

 前書き書くことないし、下書き書いてたら書ききれなくなったから一番好きなところだけを書いていく。

 

ラプトルとオーウェン

 ジュラシック・ワールド最大の見どころ、なんと主人公の一人のオーウェンがラプトルと対等な関係を築いてました。うそでしょ?となる。見に行った僕もそう。無理だろ。なぜなら理由はこちら。

 

ラプトルの過去の偉業

・草むらから人知れず団体様を食いつくす

・瀕死の人間を目立つところに放置しておとりにする

・標本のふりをして人間を襲う

・気配を消して木陰から襲う

・フェイントをかけて銃を持った人間を圧倒する

 

いや無理だろ、レクシィに並ぶ過去作品の恐怖の象徴だぞ。

と思ったら、これがびっくり、オーウェンがびっくりするくらいまともな人間で、恐竜との付き合い方に恐ろしさ、過去のパークの惨劇から見ればすごく謙虚な人間。

そんな人間と友情を築いたブルー、チャーリー、デルタ、エコーの4匹が本当にかわいい。昔のファンが見たら正直お前はあほかって言いたくなると思う。けど、マジでこの映画ラプトル大正義、ブルーがヒロイン。

こんな恐ろしい恐竜たちと、適切な距離で友好関係を築けるなんて、人間も捨てたもんじゃない。

 

(5秒後に利益第一の人間から軍事利用提案されるシーンで落胆する僕)

 

 

世界一のテーマパーク

 あほぬかせ、人間が愚かな限りジュラシック・ワールドが経営できるわけないだろ。パークの惨劇でさえ当時できるだけのことをしたうえで事故は起きたんだ。コンピュータが発達したとしても、あの恐竜たちを管理するなんて………

 

 

 

 

 

 

経営出来てる………。

 

 

ホログラムをふんだんに使った第一作のマスコットキャラ解説モニター、30~40種まで増えた恐竜たち、翼竜観覧ドーム、化石発掘体験、ジュラシック・パークからの生き残り「レクシィ」の檻、恐竜の子どもとのふれあい広場、恐竜にマイクロチップを埋め込むことで可能になった中央管理システムetc

 

挙句の果てには、ボール型の乗り物で草原で檻の外の恐竜を直接観察できる。

 

 

SUGOI。つよつよセキュリティだ。最新技術のオンパレードだぁ。

イルカのショーを見る感覚でモササウルスの餌やりも見れる。マイクロチップのおかげでパーク内のどこにいるのか、健康管理、脱走防止までできちまう。

オペレータの一人は生粋のオタク野郎で、自分たち人間がいかに愚かだったかが分かっている。多分こいつがかっこ悪いけどある意味一番かっこいい最高の男。

まぁ、ほんの少し経営者側が恐竜の遺伝子めちゃくちゃ改造してるし…

恐竜が命を持った存在ってこと見落としてるけど……

いや、まぁ、うん……

 

 

 

安全管理は万全!ジュラシック・ワールド、ヨシ!

 

 

 

 

 

 

 

経営陣「お客さんを盛り上げさせたい…。せや!遺伝子組み換えで人工恐竜作ったろ!」

 

 ということで、やっぱり事故は起きました。

 まさか遺伝子を一から設計して新しい恐竜を想像するバカをするとは思わなかった。

判明してるだけで、スピノサウルス(凶暴性)、ラプトル(知能)、コウイカ(擬態能力)、蛇(熱感知能力)、その他もろもろの地球のすごい生物の遺伝子

これをねるねるねるねしたら出来たのがインドミナスくん。生まれてすぐに兄弟で共食いした凶暴すぎる恐竜。

恐ろしいことに、擬態能力で視覚的に隠れて脱走して肥えた男をぱくっと完食。捕獲チームも返り討ち。体内のマイクロチップも自ら食いちぎる。

 

なーんでこれを管理できると思ったんですかね(呆れ)

 

こういう何も学ばない姿勢すごく好き。人類滅びた方がいい。恐竜に覇権渡そうぜ。

 

 

 

すごくうれしい小ネタ

 ジュラシック・ワールドが建設された島はなんとパークが建設されていたイスラ・ヌブラル。

 いやまさか、森の中に過去のパークの廃墟が眠っているとは思わなった。オーウェン達大人組とはべつの子ども組主人公の兄弟。こいつらがインドミナスから逃げるときに発見した廃墟にはJurassic Parkの旗、見学用のポンコツバギー。

思わず涙がこぼれるかと思うくらい懐かしい小道具たちもちらほら見えて、あぁここはジュラシック・パークなんだと感傷に浸っていました(懐古厨)。

 

 

 

インドミナスVS人間&ラプトル

端的に言えば、ラプトルを使って追い込もうとしました。

 なお、ラプトルの遺伝子を持つ都合上、事実上の近縁種インドミナスの呼びかけで裏切られる。2作目だか3作目でのラプトルの鳴き声がここで使われるんですけど、嬉しくはない。怖い。

ちょい前の流行だった

 

返り血塗れインドミナス「イェーイ、人間クン見てるー?wwwwwww」

 

をやられたわけですね、ラプトルの恐怖が復活なんてやめてくれよ…。久々のラプトル成分でちびるかと思った。暗闇での狩りなんてラプトルの真骨頂ですやん。

まぁ、ラプトルちゃんたち戻ってきたんですけどね(ざまぁ)。

 

 

 

オーウェン&ラプトル&レクシィVSインドミナス

 さぁ中盤すっ飛ばして終盤の話になります。炎の王国の記事が大本命だからしょうがない。細かいところ書いてたら一冊本ができる。

 

この映画での最大の盛り上がりを見せる最終バトル。

オーウェンとラプトルたち、そしてイスラ・ヌブラルの女王レクシィ。

パークの危機に立ち向かうのが、人間と恐怖の象徴たちという並び立つことは不可能だった面々なのが熱い。

なんて言ったってレクシィ、こいつの登場シーンは本当に素晴らしかった。レクシィの遺伝子が入ってないことに気づいてからの、第1作からの伝統芸能である発煙筒によるレクシィの誘導は過去作の色々な思い出が浮かび、檻が開く瞬間にメインテーマが静かに響き渡りながら暗闇から姿を見せるあのシーンは燃える。

 

ピノサウルスの標本を吹き飛ばしながら咆哮する姿はまさに第1作のオマージュであり、過去の遺物の骨格標本を、今を生きながらえるレクシィが壊すということがとても重要な意味を持つように見える。

過去作を愛した人間にとって、これが興奮しないわけがない。

 

しかも、レクシィがピンチの時に駆けつけるのが1作で争ったラプトルというところもポイント高い。共通の敵ができたら、生命は並び立つことができるんやなって…。

 

インドミナスの最期は最新のパークの捕食者による止めで幕引き。この意外性賛否両論らしいけど、僕は好きなのでヨシ!

 

 

 

うわ、このブログ、文章バラバラすぎ…

  おわりです。とりあえず一番好きなところを過去のツイート発掘して書き連ねました。楽しかったけど、これめちゃくちゃすぎるからさすがに次回から国語勉強する。

 この映画の肝は、遺伝子組み換えで神の領域に踏み入った愚か者、過去の人気恐竜そろい踏み、そして何と言ってもレクシィとラプトルの共闘です。ジュラシック・パークが好きだったからこそ楽しめた演出も盛りだくさんで、知らなくても楽しむことはできるのは続編として理想的なものだと思います。

 生命は道を見つけるというテーマを、種の違う生命の共闘という形で示したジュラシック・ワールドは続編としても一本の映画としても傑作だと断言できます。

 

 イスラ・ヌブラルで雄叫びを上げるレクシィの姿が見れるだけでこの映画見る価値あります。

 

 ということで書きたいこと書き切ったから、本命の炎の王国の好きなとこも今度書く。

ジュラシック・パークには夢が詰まってる

みんな、恐竜は良いぞ。(挨拶)

 

 最近、旧友と何人も短期間で会う機会があり、その中でもジュラシック・パークとマーベルを一緒に見てきた奴と深夜までファミレスで語り合った。かれこれ7年近い仲ではあるが、今思えばそいつと漫画みたいに夜のファミレスで熱く情熱的に語るなんて夢にも思わなかった。発端は、ジュラシック・パークインディ・ジョーンズを見たことあるという人が身近にあまり見たことないので話す相手がお互いしかいないという所からだ。その日はTRPGの集まりの打ち上げも兼ねていたので、ドリンクバーでカフェインを摂取しながら語り明かした。あまりにも興奮していたせいで店を出てからも駐車場で30分ちょい色々な話題でずっと話し込んでしまったのは我ながらバカだったなぁと思っていたり。

 ということで(?)、せっかく熱が入ったのでスピルバーグ監督作品、ジュラシック・パーク第1作の好きなところをまとめようと思う。

 

「Welcome to Jurassic Park.」

 ジュラシック・パークと出会ったのは幼稚園の頃、確か親父が見せてくれたような勝手に拝借して見たような。それくらい記憶があいまいな頃にあの映画を目にした。そのころ、幼稚園では絶賛の恐竜ブームで、図鑑を持ってるやつは一種のステータスだった。幼稚園の恐竜図鑑は常に戦争を起こすくらいの取り合い。ものすごく長い名前を頑張って覚えればヒーローになれて、絵が描ければ神だった。それくらいあの頃は、今はもういない巨大生物という浪漫に憑りつかれていた。半ば”憧れ”に近い感情もあったと思う。

 そんな浪漫と憧れを抱いてた幼稚園児がこの映画を見れば、夢中になるのは当たり前だ。遺伝子工学により生み出されたとか、利権が絡んだ裏取引とか難しい部分はどうでも良い。そのときは恐竜がそこにいる。それだけで良かった。

 ジュラシック・パークとは創設者のジョン・ハモンドが自身も思いを馳せた恐竜への夢を形にしたものである。そこには、遺伝子工学の技術で現代へと舞い戻った恐竜が人間の管理の下に娯楽として存在していた。残念ながら、最後には自らの傲慢さと過ちから閉園することになってしまうが、それは間違いなくスクリーン越しに僕を魅了し、恐竜に抱いた夢と現実的な恐怖を見せてくれた。恐竜の咆哮が響き渡るたびに心は震えたのを今でも覚えている。

 ティラノサウルス(レクシィ)がトイレに逃げた男を食い殺すシーンは余りにも強烈だ。その大きく恐ろしい顎で咥えられて、男は最期の時まで末期の悲鳴を上げる。恐竜は確かにかっこいいが、劇中でコントロールから外れたレクシィは本能の赴くままパークを駆け、食物連鎖の頂点として大きな恐怖を見せてくれた。恐竜が蘇ったという夢だけではなく、恐竜という種への恐怖というものをこの映画は同時に見せてくれた。

 

 

ジュラシック・パークに何を見たか

 遺伝子工学により生み出した恐竜の卵を見せるハモンドに対して、マルコムは終始批判的な立場を取りながらこんな言葉を残している。

 

 「Life finds a way.(生命は必ず道を探す)」

 

 ジュラシック・パークでは命を取り扱う作品となるため、人間は命を生み出しても思い通りにすることは不可能だということをコンセプトとして描かれる。この言葉は、恐竜を現代に蘇らせ、管理しようとしたジョン・ハモンドへの批判である。人間は決して神ではない。地球に生きている命の一つに過ぎないということを何度も見る内に、幼い思考で僕は捉えた。

 しかし、幼稚園から成長し、自分で意味を考えることが出来るようになった時、別の意味で捉えるようになったのだ。人間の視点で見れば、これは人間の傲慢さを暗に批判したものなる。だが、パークに生きる恐竜の目線から見るとこれは全く別の意味を帯びてくる。

 パークの恐竜は、個体数の管理のために全てが雌で構成されている。子を産み、管理できない数に増えてしまうことを防ぐためだ。しかし、パークの恐竜たちは自らの遺伝子を変異させることで性転換をし、種の存続の道を作り出した。管理下の元、自由な種の存続ができないという絶望的状況で生命は変化し、希望を生み出した。どんなに絶望的な状況でも希望を見出すという、余りにも夢に溢れた意味をここに僕は見たのだ。

 

 ジュラシック・パークは先述の通り、命を管理しようとする人間の傲慢さと無責任さを書いたモノだ。パークには大きな夢が輝いている。しかし、強く輝くからこそ、そこには人間の大きく深い影がある。生命の希望と夢だけではなく、決して目をそらせない現実もまた内包していたのが、僕にとってのジュラシック・パークだった。

 

おわりに

 読まれることを考えずに好き放題めちゃくちゃ書いてとても気分が良いが、一応公開するモノなのでまとめに入ろうと思う。まず恐竜とは当たり前だが現代にはもういない。そこら辺にいる鳥畜生くらいしか名残を見ることはない。現代では決して見ることは出来ない。ある種の喪失感に似たものが小さい僕を掻き立てていた。ジュラシック・パークはそんな喪失感を埋めた映画だ。スピルバーグ監督の手によってスクリーンに蘇った恐竜は確かに僕が妄想の中で描いたもの、それ以上の命として描かれていた。人間の傲慢さと命の強靱な生きようとする本能、それを受け入れる世界。古い映画ではあるが、現代への命に対する倫理観と責任へ警鐘を鳴らした映画でもあると思う。

 僕はただ本当に恐竜が好きなだけでこの映画を高く評価し今も好きでいる。しかし、根本のテーマにはただ好きなだけでは無視できないものがどうしてもついて回っている。しかし、それでもこの映画に僕は今でも恐竜というもう見ることは出来ない生命への夢を見た。間違いなく、ジュラシック・パークには夢が詰まっている。