Anemone隔離エリア

感極まった時に投稿する

スーサイドスクワッド見た話(ネタバレあり)

最近のヒーロー関連映画、家族のつながりがテーマ多いね。ネタバレ普通にあるので見ない方がいい。ちなみにこの記事はオチもくそもないので見てて「え、で、なに?」って感じの話になります。

 

 

見に行こうかなー、どうしようかなーって段階の話

一時期のクリストファー・ノーラン監督「ダークナイト」とかあそこら辺から火が付いた超弩級シリアスヒーロー路線からはや十年近くが経とうとしててあの頃の映画見返すたびにもはや懐かしさが出るようになりました。

 

ヒーローの社会的覚悟と個人的覚悟が合わさって立体感が生まれるたらどうたらって話を、観客のメンタルを触媒にシリアスと悲劇と義務感で錬成していく悪魔の所業が乱立したあの頃本当に当たりはずれも大きかったなぁと思います。(こころなしか日本のヒーローも若干影響受けてような気がしなくもない)

 

そこから多くの作品を経て(話が脱線するのでそこらへんは割愛)、ついに公開されたスーサイドスクワッド2。

余りにも1作目が予想の斜め上を言ってしまってみた直後「うん?うん~????これこの人数とメンツである意味はあったか…?」と言ってしまったので正直個人的にはあまり乗り気ではない続編ではありました。ただ、それでも見に行ってしまうこのオタクのサガ。

 

いいぞかかってこいや。ハーレイ・クイン単独映画はかなりいい感じだったしそのノリで来るやろ!こい!

 

 

・・

 

・・・

 

・・・・

 

 

 

うっわ、めっちゃ面白い(手のひら返し)

 

 

※監督「ジェームズ・ガン

 いや、この監督本当にエンタメがうまい。

今回の映画は、悪役アクションなので敵への容赦のなさと、命の切り捨て方とこだわりの気持ち悪さが表に出るんですけど、そこに一つ家族ってテーマを絡ませることで「うん、やってることはカスだけど、言ってることは普通だな」って一瞬勘違いさせられるのが本当にうまい。

 

・親からは殺人術しか与えられなかった×2

・愛を与えられないから犯罪を犯しても捕まらない方法を教える

・ヒーローになれと虐待された結果、精神疾患を患う

 

今回出るキャラのうち、男三人だけでこれですよ。おなか一杯。

これで共通するのが家族の愛のカタチとは?というテーマ。すっごいありふれたテーマですよね。ただイカレ野郎たちがこれ語ると途端に「どうしてそうなるの」と言いたくなるものになります。どうしてこうなるの。

 

ただイカレてるのと良識があるのは別問題ってのがヒール映画のいいところ。最終的には「じゃあ殺す」で話が終わるやつらでもやるときはやるってのがいいところだと思います。僕のお気に入りは、人殺ししかできないからヴィランを殺して結果的にヒーロー活動を行ってしまいすれ違っていた家族が一方的にですが少し歩み寄ったっていうところです。

 

女性陣。今回はハーレイ・クインとラットキャッチャー2が出ます。僕はDC知らないのでバットマンキャラのハーレイしかよくわかりませんが、ラットキャッチャー2ha

きっとなんかの作品で結構上位人気あるんじゃないでしょうか。適当ですけど。

この二人、覚悟決めすぎた男性陣と打って変わってすっごい平和です。ハーレイがいつも通りですが、男性陣がめちゃくちゃすぎてなんか普通にみえます。

 

特に今回の主役を飾ってるのがラットキャッチャー2。社会の底辺として生まれ、生きてきた彼女のセリフが今回の映画一番の泣きどころじゃないかと思います。笑い涙じゃないことだけは約束します。正直ネズミを意のままに操る眼化を使って活躍することに意味がちゃんとあるのが良かったです。弱者とネズミをピックアップした結果、親の愛が爆誕する構図、振り返ってもなんかすごいな…。

 

そして、ここ重要なんですが、ラットキャッチャー2めっちゃ可愛いしかっこよかったんでうしょね。吹替もよかった。すごいキャラとあってて驚きました。誰だったんだろうね、この子の声優。

 

ラットキャッチャー2:ダニエラ・メルキオール(悠木碧

 

またお気に入りキャラが悠木碧でした。こんなんばっかじゃねえか!

 

 

ハーレイ・クインはすごかったよ。お花がいっぱいだった。

 

 

先祖はサメの神様、キングシャーク・ナナウエ

この映画サメキャラが出るのである。しかも怪獣と戦う。その怪力と食欲で先陣を切り、頼りになる。頭はよくなかった。

ここまで聞いてネットミームとクソ映画に詳しい人は察するだろう。この映画一番の病気要員がこいつである。なぜかこいつにちょっと好きになりそうなときめきを感じてしまうのがこの映画の病気なとこである。監督、ミーム的演出が山ほどありましたが、こんなところで爆弾を使うのですか。面白かったよありがとう。

 

さて、こいつがどんな奴か見てみる。なめてはいけない、映画界の問題児サメである。

さぁこいつが本当に映画に出るべきサメか見てみよう。

大丈夫、今までのをみれば、宇宙飛んだり台風に乗ったり幽霊になったり砂になったり頭が複数あったり巨人と戦ったりそもそもタイトルがサメなのに本編にサンはワンカットすら出ないとかそういうのばっかだったし、何が来ても受け入れられるよ。

 

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ナナウエ様ご尊顔(https://twitter.com/dc_jp/status/1407540197986684933?s=20

・頭は一つ

ヨシ!

 

・背びれがある

ヨシ!

 

・人肉大好き!

ヨシ!

 

・空を飛ばない

ヨシ!

 

・生身である

ヨシ!

 

・パンツをはく

ヨシ!

 

・手がある

ヨシ!よ、うん?

 

 ・足もある

タコじゃないのでヨシ!あれ?

 

・しゃべる

100点満点合格!!!!!!!

 

 

まともじゃないです。こいつに友情を見出したラットキャッチャー2すごいと思う。お前も立派にいかれてるよ。

 

 

それでも家族映画である

デップー2見た後も言ってたけど、いやこんな奴らが出てるのにこの映画親子の愛ってものと、爪弾きものだってやるときゃやるぜ!というメッセージがちゃんと込められた映画です。信じられないくらいに下地を丁寧に積み上げてくるタイプの説得力なので本当にすごいです。ただグロくて爆発がすごいだけじゃない、ブラックジョークも満載、結局最後はお前を殺すでまかり通る。人に勧めるには癖が強すぎますが、このお盆の期間、地域的に許される状況ならぜひ映画館に足を運んでみてはどうでしょうか。ワイルドスピードと並んで、この夏見てほしい映画の一つになっています。

俺はクウガで育った

ノートパソコンが死んだので初投稿です

デスクトップ移行して初更新だけどLogicoolのキーボード使いやすいね、素晴らしい

 

ただ金が吹き飛んだことだけがつらいので発散のためにも文字を打っていくぞッターン

 

仮面ライダー前に書いたし、今回もライダーにします。平成ジェネレーションズFOREVERです。

はい、ネタバレ投稿とか劇場のどよめきとか記憶に残るのが多いですね。僕の記憶に一番残ってるのは、映画の内容とは別で、見終わった後に友人と感想話してたら一人平成の申し子みたいなやつがいてめちゃくちゃ羨んだことです。マジでうらやましい。

 

 

予告公開当日 

最初の予告映像として劇場のエンドロール後にタイトル流れたときはふるえた。

FOREVERだよ、FOREVER。

FINALからの平成20周年記念映画のタイトルが終わりを想起させるものじゃなかったんですよ。いいじゃないかいいじゃないか、こういうのを待ってたんだよって孤独のグルメみたいなこと言ってた覚えある。

そして時は流れて、とある朝一本の動画が公開される。

 

そう、第一弾の予告編である。

なんかトレンドにも仮面ライダーのキーワードがあるし、こりゃすごいやつなんやろなぁ。いやぁ名に飛び出してくるんだろ。パラレル系で超時空の大決戦みたいなやつかなぁ(動画再生)

 

ナレーションの雰囲気がいつもと違う…?

わ、かっこいい

すげぇ全員出るんじゃん

 

おん?

 

あ?

 

はい。

 

見覚えのあるおもちゃの山ですわね…。

 

うわわわわわわわわサムズアップするする

 

うわぁあああああ

 

(再び再生)

 

 

 

うわぁあああ、なんだこりゃ。

 

 

 

電王やばすぎね!?(当時の感想)

 

 

 

 

 

映画公開まで一か月

 

予告でヤバイ気配を感じてからかなり浮足立っていた。それはもう大学の講義中は友人と後ろの席を陣取り話を聞かないでネットサーフィンでストーリー予想眺めてるくらいには。

ジオウもアーマーがどんどん出ていて(この時期数結構出てたよね?)毎週ワクワクしていたし、心臓はいつも高鳴ってた。よく心停止しなかったね。心臓に個あったのかな?

そんなか飛び込んできたのは東映のおもらしイマジン予告動画。

なんとおもらしと気づかずに講義中にイヤホンつなげてみていました。

電王、またイマジンおる…

 

講義中にまじでまたこいつら出てくれるの!?と友人に興奮しながら早口ではしゃいだ気がする。あのときなんか横で友人はマムタロトの情報調べてたきがする。

 

でもこの映画語るとき、あまりにも事前情報公開なさ過ぎて公開までの話何もできないんだよね……

 

しいて言えばメドレー映像で何人か知らない技つかってて「なんだお前その技!?」ってなってたくらい。

 

 

 

平成ジェネレーションズFOREVER

 

公開当日、友人とは自分の都合で2グループに分かれての映画館へおでかけ。このじてんで例のネタバレがあったらしく終わった後に友人が切れてた。当たり前だろ、さすがに怒ってもいいわ。アカウントブロックもまぁ、しゃあないよね…。

そんな話はさておいてさておくな、この映画見るにあたって一緒に行った友人とのお約束は二つ。

 

1.ツイッターを見ない

2.最速で行く

 

いやほんと、絶対次の日のジオウでOPでるし昼には情報出てくるから最速しかありえない。ということでがんばって必要最低限のツイートだけして(一つ目アウト)、ちょっと寝坊しかけたけど(2つ目セウト)なんとか映画館いきました。

 

さぁ見るぞ!何でも来いよ!俺は覚悟決まったぜ!何が来ても耐えて見せるぜ!

 

 

 

1時間半後、変わり果てた姿で映画館から出てくる。

 

 

 

ヒーローの存在とは

この映画、アタルにとってのヒーローの存在価値がすごい見ている人に刺さるんですよね。

 

小さい頃の孤独を埋めるものから、助けを求めるものへ、そして諦めから嗜好品に変わっていく。

 

この流れ、めちゃくちゃ刺さるのが、現実でヒーローから離れていく過程なんすよね。

 

 

仮面ライダーは現実に存在しない。ここの焦点が合っていて、アタルを通してなんで自分たちは仮面ライダーって作品を見ていたの?と問われる。

いや、まぁ、昔から好きだったとかかっこいいからとしか映画の前は雰囲気とオタク早口でしか語れなかったんですよね。

いや明確に頭いい話し方で語れなかったのは恥ずかしいんですけど自分は概念で話そうとすると理由は明確に言えなかったんですよね。

 

そのうえで、アタル君の「仮面ライダーは現実にいない」って趣旨の発言。

 

当たり前だけど、実際言葉にされるととても揺さぶられた。

いないことをここまで強調されるとは思わなった。

実際に今まで見た同系統の作品だと、いないはずのヒーロー・キャラが来てくれた来てしまったのノリが多かったせいもあって、全く受け身が取れない。

 

1時間弱かけてヒーローがいないことを描いてHPはレッドゾーン。

呼び出されたビルドとジオウたちがかっこよくてもその前提だけがひっくり返らない限りもやもやが残ったまま。

そうしたもやもやの中ついにアタル君の一言で仮面ライダーは消滅、現実世界が危機を迎える。

 

どうしようこれ胃が痛い。まじで締め付けられる。ドリンク飲んでられないよ。劇場の緊迫感と空気やばいよ。うわあどうすんのこれ。

 

とビクビクしてるなか、ついにあのシーンがスクリーンに映る。

 

 

 

俺、参上

 

再びパラレルワールドへと舞い戻ったジオウとゲイツが、アタルくんと特異点の少年を助けるためにティードへ挑むシーン。

時間停止のガチ妨害でピンチを救ったのは見覚えのあるあいつ。

 

「俺、あっこっちか。参上!」

 

いやお前がナンバーワンだ。ここぞというときに笑いと安心を持ってくる電王に安心した。ずっと前から好きでした。未来でも好きです。

 

そして全フォーム連続変身で燃えまくった後、まさかの本人登場

どよめく劇場、お姉さんがたのキャーキャーに合わせて俺も「あーーーーっ!!!(心の声)」。

 

いやほんとこれだけで名作だよ。お前が優勝や…。となったときに、アタル君への電王からの仮面ライダーの存在についてのアンサーが伝えられた。この内容は詳しいことは実際に見てほしい。マジで泣く。

そのあとのティードヘ啖呵を切るアタル君の言葉。

 

 

覚えている限り、ライダーはいる。

 

 

実際にいるのかということは問題ではない。要は仮面ライダーという概念がその人の中に息づいていればいい。記憶に残っていれば、そこに自分のあこがれた、好きな仮面ライダーは存在する。

つらいときに実際に助けてはくれないけど、思い出とともに仮面ライダーという存在は根付いていてくれた。それは、幼少期の電王を応援していたアタル君も同じ。

ここで平成ライダーファンへの一つの解答が出るのが、本当にこの映画のここがすべてなんですよね。

 

そして、作られたヒーロー「仮面ライダービルド」の「俺たちはここにいる。今、ここにな。」

 

スクリーンの前のファンに向けての言葉でもあるんですよねこれ。ソウゴ君に存在しているか否かは重要じゃないと説いたり、彼でしか言えない実在性への言及がこうしてスクリーンから飛び出してくる。これはもう一種のノンフィクションですよ。

現実にいないんじゃない。いつだって”そこ”にいる。

電王とビルドによって、仮面ライダーがいるという証明が強固になっていく流れ、涙しか出ない。

 

 

 

平成ライダーがあふれ出していく!(フライング)

わーい!!!!!!もうあとは脳死で演出楽しむぞー!!!!!

 

と始まった仮面ライダーたちの登場シーン。

個々の演出はもちろんのこと、モチーフによるグループ分け、ライブラリや新録による本人音声、そして極めつけの登場の仕方。

 

そう、この仮面ライダーたち、幼いころに夢見た名前を呼んだら出てきてくれるのだ。

すごいことですよ?助けを求めたら来てくれるとか、それヒーローものの醍醐味じゃないですか。

細かいところが、呼び出した人は、みんな呼び出したライダーが放映当時に子供だっただろう年代なのである。本当の意味で、子供の時の救いのヒーローとして来てくれているのだ。

こんなうれしいことある?熱いことある?あの頃の自分のヒーローが助けに来てくれるんだよ?うれしいに決まってるじゃん。

電王に至っては逃げ惑う市民のなかを一人逆らって武器を構える。

ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

すき。

極めつけのクウガは完璧でしたよ。

子供の姿に戻ってクウガの名前を呼ぶ。

俺も見てた時はこれくらいだったなあーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

良い。

 

龍騎に「仮面ライダー同士、力を合わせよう!」って言わせたスタッフ、あんた天才だよ。

BGMもちゃんとあってもう最高でしたね、

 

そんなか冷静に驚いたのは、アクターさんは高岩さんたちの動きを最大限再現。そのうえで新技を演じる。

制作の本気具合がやばすぎる。なんだこれエネルギーがすごい。

 

 

バイクアクションとかは短い時間でよく個性が出てた。バカみてえなバイクスタントのクウガクロックアップで高速攻撃するカブト。ドラグレッダーはマジで強すぎるし、ディケイドは大体わかったし、ドライブはひき逃げした。

 

 

そしておまたせ最後のライダーキック。

初手十割ドラゴンライダーキックから、またもやなんらかのグループ分けがされた各々のコンビライダーキック。

特に好きなのはエグゼイド、ウィザード&キバ、そしてクウガ

一人でクソデかエフェクト出すエグゼイドはすごい良かったし、ウィザード&キバに関しては「どうした?スタッフ天才か?もう一枚、いや二枚分チケット払わせてくれない?いやもうてんさいだね?」と脳みそがバグるかっこよさ。

 

そして王道の強化マイティキック。

 

 

締めに主役二人でとどめを刺し、20人で決めポーズ。

 

「うわぁ、仮面ライダーだ!」

 

まるで視聴者の心の声を代弁したかのようなセリフでした。ありがとう。

 

 

 

20年間仮面ライダーで育った結果

 

クウガで育った俺が生き続けて、今じゃ社会人。なんか思い出の傍らには特撮があって、特にウルトラマン仮面ライダーがそばにあった。幼稚園じゃ三輪車でトライチェイサーとビートチェイサーのまねしたりVバックルを祖父に買ってもらい遊びまくった。ファイズギアをねだって買ってもらい、そこから時は経ってクリスマスの朝起きたら響鬼のDX変身セットが部屋にあった。高校では特撮好きの知り合いが増えて、大学に入ってからは狂ったようにベルトを買った。

 

20年の平成ライダー、生き続けたなぁと映画の後も、今になっても感慨深くなる。その間に仮面ライダーの存在についてのアンサーを受け取ってこれからも応援しようってなったんだから俺は東映に生かされてる。バンダイに財布は握られ、東映に心臓つかまれてるとか幸せな監禁状態ですね最高ですよ。

友人と会えばお別れの挨拶は友情の印、真似したスナップはいまは癖になってしまった。

 

まぁこれが自分を構成してくれているんだし、悪くはないとは思いますよ。高校の時特撮やめようと実行しなくてよかったよ本当に。

 

一年ぶりに下書き掘り起こしたのでなんか変な気がするが、とりあえず締め。

 

 

 

 

エンドゲームは俺の青春

いいこと日記つけようかなと思ったらここ思い出したから書きました。

ようは、今日のゼンカイジャーみたいなあの頃よかったbot になるわけです。まぁそこんとこ、よろしこ(ジュランおじさん)

 

 

学友へのマーベル布教

大学生時代、マーベル見てる友人が地元にしかいなかったので、インフィニティウォーあたりから周りに推しまくってた覚えがある。あの時見てくれた友人には感謝しかないです。

どうやって布教したかといえばIWシリーズ初見にさせると言う悪魔の所業なんですけどね、ガハハ。

 

というわけで一年かけてみごと友人を洗脳教育したので、俺の愛馬もとい俺の愛車で映画館へGO。

この時はまだ俺に笑顔があったらしいとは友人談。

そして始まるエンドゲーム、俺は死んだ。

 

 

俺じゃなくて映画を見ろ

別に内容なんか語る必要なんてないので簡潔にその時起きたことを言う。

 

引くほど泣いた。

 

そらもう引くほど泣いた。4dx で揺れに対して身構える余裕もなく、ただ噴射されるミストではありえないレベルで頬がびしょびしょで手がカピカピになったのをよく覚えている。

この時、友人Aは「うわー、この展開、Anemoneくん死んだやろうなぁ」とか思ってたらしくスクリーンではなく俺の顔を確認していたらしい。

友人Bは「なんかすげえ泣き声聞こえる。誰だ?」と思ったら俺だったらしい。なんか顔すごかったらしいね。

 

 

当時の俺は「そんなにか?そんなにだったか!?」と聞いて「死んでたよお前」と返されてました。

 

 

ところで、人間は強い衝撃を与えられた時は記憶が一部飛ぶらしい。大抵は思考リソースに回す余裕が無くて、記憶に残せる情報が少ないとかいうのを昔似非科学で聞いたが、あながち間違いではないと思う。

何故なら、僕の記憶だとアッセンブル以降の記憶が初見マジでぶっ飛んでるのです。

いや二回目見てビビりますよ。「あれ?ここ見たような気がするのに覚えがない」ってすげえ意味のわからない宇宙猫してるんだから。

 

映画見てて記憶がないって、逆にすごい映画体験味わってるよねと噛み締めてはいるが、あの当時の衝撃を超えてくる映画に俺は出会える気がしなくて少しの寂しさがある。

頼むぜマーベル、東映、その他もろもろ。俺は脳みそシェイクされるような劇物求めてんだ。(卒業後、ヒロアカ映画二作目で脳を揺らされて雄叫びをあげるのは別の話)

 

 

 

ようするに

ここでエンドゲームは青春という話に戻るが、何をもって青春としたか?

それは友人と隣り合って感情丸裸で楽しめていたということに他ならない。

 

元来、人とコンテンツを共に見てきた経験が少ないのもあって、誰かと一緒の場になると抑える癖がある。一人で喋りすぎてキモがられそうとか、諸々あったりするのでまあ押し込めて楽しめるライン引きをして一定までいくとそこで足を止める感じ(それでも口は達者だったが)。

それでもこの時はそんなこと気にしないで、ただ「見たい」という語彙力もこだわりも薄い、飾りもない素のまんまで見に行って映画館を後にしていた。

もう一人で楽しんで、布団で横になってディスプレイ眺めて小さく笑ってるだけだったオタク人生にとって、あの時三人で映画館に行ったのは輝かしい青春だった。

 

流行り病の性質上、本当に難しいが、できるならあの夏の映画仮面ライダービルドや、学友と大学で感想戦をしたエンドゲームのように、誰かと映画を見に行って、帰りにサイゼでペペロンチーノ食って帰るという、気取ってるわけでもカッコつけてるわけでもない、適当なオタク遊びを俺はしたい。

 

 

初めての携帯はファイズフォン

親知らず抜いて死にそう

痛い

痛い

痛い

(ループ)

 

痛みから逃れるために人の形から抜け出したいと思ったからファイズのことを思い出すことにした

俺もオルフェノクになれば痛みなんて気にしなくていいかな

死にたくないからやめとくわ(自己完結)

 

 

仮面ライダーファイズ放送直前

幼稚園の頃、番組予告を見て友人のA君とB君と鼻息荒く熱く語っていた。

「次すごい光ってる!」

「ロボットだ!」

「女が変身するのか」

みたいなこと話してて、今考えたらこれ炎上もんじゃないのかというひどい偏見みたいなことまで三人で話してた。あの時はファムが出たばかりで女性ライダーも珍しかったんだよね、今は男女どっちも、なんあらオカマもいるからいい時代だぜほんと。(ブラーボ好き)

 

そしてなんといっても携帯電話。携帯で変身。携帯ってなんだ?というレベルの時の話。そりゃ心つかまされますわ。

正直こんなに前のこと覚えてるとは思わなかった。相当ファイズのこと印象に残ってたんだね。それだけ好きってことです。

 

 

放送後

オルフェノクこえええええええ

めっちゃ砂やん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

いじめこえええええええええええええ

うたかっこいい!!!!!!!!

オートバジンすげえええええええ

会社がある(冷静)

 

ファイズめっちゃ光るし、めっちゃ速い!(START UP)

 

ということで

話は当時なんにもわかりませんでした!!!!!!!!

 

名場面は覚えてるけどたっくんの喧嘩戦法と草加の単純な強さとデルタギアの凶暴性くらいしかよく覚えてなかったね、幼稚園とかだもんねそらそうよ。

 

それでもたっくんがオルフェノクなのは当時あほほど驚いた。

映画見に行ってあのオルフェノク変身シーンみてビビらないやつがいるか?いやいあない(反語)

 

ただファイズギア買ってもらってめっちゃ遊んでたの覚えてる。夜中にポインター鳴らして怒られて様な気もするし怒られたことないかもしれない。

ただなんか、こう死んでいく人間が残すものって何かなとは考えた。そこだけは感じ取れたからちゃんと当時見た意味はあったかと思う。

 

いまだかろこそ行ってもいいかなと思うわがままは、DXアクセルウォッチとDXファイズブラスターもほちかったです。

 

 

ファイズ本人出演

時は経って、仮面ライダー鎧武の時代。昭和VS平成が放映。

そこで平成昭和問わずのキャスト本人出演にまさかの乾巧の名前が。

「えっまじ!!!?!?!?!?!行かなきゃ!!!!!これは見るしかねぇぞ!!!!???」

 

とか言って当時高校生ワイ、悲しいことに仮面ライダーの映画行きたいとか言えずに見に行けませんでした。恥を捨てろよあほ。

 

レンタルで結局見たんですが、まぁ、乾巧の声の低いこと低いこと。

マジで「えっ誰!?」ってなった。人は年齢を重ねていくんだなlとしみじみと思った。

そんなたっくんも今じゃめっちゃかっこいいイケオジになって草加と歌うたってるよ。昔の俺が聞いたら腰抜かす、間違いなく。

 

そんな話はさておき、この映画のファイズはまぁ普通にかっこよかった。なんか音声違う気がしたけど、いつものスタイルにクリーニング屋やってるの見てなんか感慨深くなった。役者もそうだけど俺も歳重ねてたことをはっきりと感じた。

 

 

そんなこんなでお次は仮面ライダードライブの年。

ドライブのポーズは、役者がファイズ大好きだということもあってファイズリスペクトの腰を低く落とすポーズがあったり、そういう裏の話で供給がありはしゃいでた。

そしてまた出たぞ、仮面ライダー3号にファイズ出るって。「

まじ!!!!!!??!?!??!?見に行かなきゃ!!?!??!?!?!」

 

見に行かなかった。

別に教えてくれたそいつが悪いわけじゃない。ただ剛が死ぬってことを知ってつらくて見に行かなかった。いつの時代も推しが死ぬのはつらいんだ(本編バリバリ元気だった模様)。

 

とおもったら仮面ライダー4号がでるらしい。これにもたっくん出るらしい

 

「…。」

 

 

「……。」

 

 

「………。」

 

 

「見るかぁ。」※見た

 

 

真の地獄「仮面ライダー4号」

仮面ライダー4号が敵の仮面ライダー4号のストーリーは各自で見てください。ネタバレしかかきません。

まず、歴史改変マシーンで誰かが死ぬたびに発生する無限ループって時点でかなり心やられた。

いや、好きなシリーズの人物が見事に死んでいくのつらいだろ、マジでそっちのほうで最初思考停止したわ。

なんでこんなことになってんのかというのがこの話の肝。

 

なんで誰かが死ぬとループするのか?

 

そんな難しい話でもなく、誰かが死ぬという事実が認められないやつがいただけの話。

それがだれかというと、われらが乾巧。

 

ここで長年の謎だった乾巧の終わりを見せられた。

誰かが死ぬ瞬間をだれよりも見続けたからこそ、詩をトリガーにした世界改変に利用された。そんな彼は、誰よりも死にナイーブになり、死んだ後もその思いだけが残った。

 

いや、きっっっっつい。

あのたっくんが、本当につらそうに「満足して死ねなかった」と話すシーンは涙が流れた。

この話を終わらせるには、それこそ本当の意味での乾巧の死が必要になる。

仮面ライダーでも、オルフェノクでも、人の心はあるんだからそりゃ死ぬのは怖いよなと。

そんな彼が出した結論は「もう一度死ぬ」。

 

笑顔で言い切った巧に進兄さんも声を荒げるがそれでももう一度死んで世界を元に戻すと決意を固める。

 

数年越しに見せつけられる仮面ライダーファイズ/乾巧の覚悟はそれはそれは重いもの。人間として生きることを語らせた作品の主人公に死ぬことを最後に語らせることのなんと美しいことか。

 

そしてこのシーンは、仮面ライダーファイズの終盤のあの河川敷。

ファイズの終わりを語らせるにはこれほどいい場所はなかったと今でも思う。

 

そして剛のカメラで最後に記念撮影。みんな満面の笑みで本当に尊い。ああ…。

 

終わり

最後の決戦での名セリフは必見。

乾巧の最期の覚悟を悲劇だろうと言った4号に対し、

「ハッピーエンドに変えてやるよ」

と返すのはもうほんと涙が出た。

 

覚悟かと思ってたらそうじゃない。死んでいること、それが当然だから、乾巧は最後に一つ残される思いを変えに来たんだと感じた。

死ぬことは悲しいことではなく、死後に何を残すかを選択した男がそこにいた。

 

ただ、それはもちろん認められない奴からすればたまったもんじゃない。ハッピーエンドも何も本人が満足するだけではないか?残された人間が悲劇と思えばそれは本人の独りよがりのハッピーエンドでしかなく、意味がないのではないだろうか。

それを代弁してくれるのが海東だった。彼もまた、本編後誰よりも死を見てきて、ついに乾巧まで失った男だった。お前だけが残されたのか……。

海東とたっくん、お前ら本当にええ加減にせよ。お前らマジで本編もドン引きするくらい覚悟も経緯もがちがちすぎるんじゃい。見てるだけで心臓ぶっこわるんだよ…。

 

海東は、あの最終回の戦いの後に死んだ巧を再び死なせたくないという一心でずっとライダーたちに忠告をして妨害してを繰り返してたとかお前健気すぎる。本当に海東ってやつが人間として好きだ。

それでも決意を固めた仮面ライダーファイズを止められない。

 

「今でも信じてる。意味なく死んだ奴はいないってな。」

 

仮面ライダーファイズという作品では非常に多くの人間が死んだ。そもそも敵が人間である時点でもうアレなのだが、オルフェノクとの闘いで大事な仲間を失っている。ライダー大戦でようやく死に目に会えた草加、道を違えてしまった木場、人間らしく最後は静かに消滅した結花

 

これだけのメインキャラが死ぬライダー、まー、あんまりないんじゃなえぇかな。思いつくのが龍騎くらいしかない。

 

そんだけ死んで、オルフェノクの末路も合わさってあの物語はあまりハッピーエンドとは言えそうになく、どちらかといえば4号の言う悲劇のほうが合うかもしれない。

 

そんな仮面ライダーファイズの悲劇ともいえる物語の一評価を、巧はひっくり返した。

意味なく死んだ奴はいない。残されたものがあるからこそ、悲劇ではない。自分の死をハッピーエンドに変える中で自分の物語の意味を信じる心はどうあっても美しい。

 

乾巧の死は無駄ではない、みんなその詩には意味があった。悲劇の一言で片づけられるものではないと約十年越しに叩きつけられた。

 

お前が、ナンバーワンだ。仮面ライダー555大好きだ。

 

そういや、平成にはいってから4人目の仮面ライダーってファイズらしいですよ

いやー!すごい偶然っすね!(白目)

 

小さな星の話をしよう

仮面ライダー4号を倒した後の、”正しい”世界ではいつもの日常が戻りました。

進兄さんたちは、”3人”のライダーたちと撮った写真を手に日常に戻る。

そして同じ空のもと、海東は空を見上げつぶやく。

 

「さて、この空を守ったのは、誰でしょーか。」

 

仮面ライダー4号 ~完~

 

 

もしかしてさぁ…製作スタッフさんたち…天才って、よく言われない?いわれるよね?俺が言うよ、あんたら天才だ。

これ以上ない美しい終わり。こんな素晴らしいもん作って誇らしくない?もっと世間に俺は仮面ライダー4号ののスタッフだぞって言っていこ?もっと人に自慢してよ。

 

そんなかんじにべた褒め全肯定オタクを生み出した仮面ライダー4号、最高の作品です。

欠点という欠点がマジで見つからないんですが、しいて言えばファイズ見ないとまるで感動がわからん

まじでこれしかない。もちろん見てなくても大筋は話されるから枠はつかめるよ。

でもこれは本当に仮面ライダーファイズって作品を見てくれた人へのご褒美、平成ライダーでいう平ジェネFOREVERだから見る人は少しでもいいから仮面ライダー555を見てほしい。

っちゅーか見ろ。お前ら、生きてるうちに見たほうがいい。

 

 

 

 

 

ということで今週分終わり。1週分さぼっちゃったけど、今週は書いたのでヨシ!

親知らずの痛み我慢してたらめっちゃ文字数いっててビビった。

 

 

 

 

瞬瞬必生みたいな映画鑑賞Be The One

更新したので初投稿です(今週分)

 

平成仮面ライダー、書くと変なテンションになるから映画にすることにした(かしこい)

でも映画も本編時空と続いてたら意味なくない?(かしこくない)

 

劇場特典は貰ってないです

仮面ライダービルド夏映画の劇場特典はそういえば買ってないなぁと思い出した。

たしか低気圧が酷くて雨風で車運転もしんどくて友人に「ごめん、本当に起き上がれないごめんよ、ごめんよ」とめちゃんこ謝った記憶がある(ごめん)

 

そんな話もあったなぁと記憶を掘り返したところで、劇場特典発表されたときの僕の反応は割と淡泊

はぇー認識ピン同じか、じゃぁええか。割と早くに諦め付けてた。それはそれでどうかと思うが固執するよりマシだったなぁと今では思ってたりする。

さて、本編でなんか金銀もう出来てて、そんな金銀ボトル映画でどんな使われ方するのかなぁ!楽しみだなぁ!と楽しみに待ってて迎えた公開当日、僕は友人達と大所帯で映画館に臨んだ。

 

 

 

エボルさんの話しました????????

仮面ライダーエボル滅茶苦茶好きなんだけど、この映画そこがずるいですよね。

もちろん本編で大暴れしてるけど、あくまでこの映画の黒幕は仮面ライダーブラッドな訳で、この映画ででしゃばるなよぉとは思ってたんですが、思わぬでしゃばりっぷりに息呑みました。

 

その1. 雨に打たれるブラックホールフォームがイケメンすぎる

 おかしいでしょ声でそうになったわ。今でも映像観たら声出るわ。雨粒があごのライン流れるとことかまじで「あーーーーーーーーすき」ってなる(語彙力)

 

その2. どうしようもなくこいつがおやっさん

 仮面ライダー名物のおやっさんがまさかのこいつしかいないという事実を改めて再認識されたところに誰よりも桐生戦兎を理解できるのはもうこの世にこいつしかいないという現実。声出そうになった(二回目)

 

その3. 最後のエボルトのセリフ

 ブラッド撃破後のセリフ全部がずるい。終わった後めっちゃあのシーンで友人たちとお話ししたような気がする。少なくともエボルが話題にでるとあのシーンがでてくる。声じゃなくて深いため息が出た。

 

 

仮面ライダーエボルに狂う人多くなるの当たり前だよね。狂った。

 

 

 

父と子

「ラブ&ピースだ!父さんは、愛と平和のために、科学者になったんだ!」

マジで声が出たとこ、日本3分割の日の記憶の回想で葛城父が戦兎/葛城巧に送ったキーワード。

 

「愛と平和」

 

平成ジェネレーションズFINALの時に割と急に出てきたこのキーワード。ヒーローであろうとする仮面ライダービルドにとってのアイデンティティとしてふさわしいなぁとかなり好きでしたが、起源がガチすぎる。

 

悪魔の科学者と呼ばれて記憶を失っても、根底にあり続けたものだけは決して変わることはなかった。この前の本編で父と離別した直後だったせいもあってマジで泣いた。

 

こういうアイデンティティに関わるものがふとした時に思い出して、さらに確固たる信念に昇華するやつ、大好きなんすよねぇ…。(早口オタク)

 

 

劇場限定フォーム好き(食い気味)

今回の映画、ジーニアスフォームのボトル能力かなり使ってるバトルもそうなんですけど、劇場限定フォームの変身からの決戦がマジで熱い。

生き物と生き物とがベストマッチなわけねぇだろに対しての「俺とお前のボトルなら」と返すとこ。お前ら出来てるのか?と言っちゃったほどには天才の掛け合いでした。

そして久々に見る合体フォームのクローズビルド。

CMから見たら「え?めちゃギャグやん」とぽかんとなったんですけど、その後の地底での決戦は高岩さんの脅威の身体能力を活かした三次元戦闘。

 

すごいですよね、監督に直上にキックできる?と聞いて「やってみます」「できた」でできちゃうんですからアクターってすごい。

 

そんな裏話があるそうな決戦は終始、心臓破裂するくらい興奮した。死にそうだった。

てんでバラバラな合体あるあるしてるときに、ブラッドに雑魚といわれて二人そろってキレるところスマッシュになるくらい好きです。あれで息が合うの仮面ライダービルドとクローズというより、桐生戦兎と万丈龍我ってかんじで好きなんですよね(早口)

 

ここでもう心臓破裂してんのに、ブラッドに対して自分のアイデンティティをさらに確固たるものにした戦兎が放つセリフ。そうか、お前は桐生戦兎で葛城巧で、葛城父の息子なんだな。

 

あぁ……(灰化)

 

 

 

髭とポテトも忘れてないよ

ローグがずるい。本当にずるい。

いつも冷静な戦闘スタイルなのに、今回はものすごく荒々しい本当にワニのようなデスロールの必殺技。あまりにも語れることが少なくて浅いことが露呈してしまう。

 

グリスはマジでフルボトルを駆使した戦いが鮮やかすぎる。ワザマエ!

武器両手持ちの時点でマジの浪漫なのにん、フルボトル4本使って能力封印+拘束&弾幕+火力アップのダブルコンボ

あまりのガチっぷりの引くレベルのカッコよさ。さすがカシラだぁ!(翌週本編で立ち直れなくなるオタク)

 

中盤でマジで劇場が笑いに包まれるギャグを繰り広げてゲラゲラ笑ってたらこれだもん。ずるいよ二人とも。

 

サブライダーがこんなにメインばりの大活躍を見せるの本当にうれしい。うれしすぎてぬいぐるみ買ったし愛車に載せてドライブの時はいつでも一緒にいる。

いや気持ち悪いなこいつ…

 

 

 

おわりに

この映画マジでずるいところが多すぎるけど、トップクラスが最後の戦兎と万丈がハイタッチするとこ。これ事前打ち合わせ無しで自然に出たものと聞いて、うわあああああああ(心停止)ってなった。語彙力とかもうねえよ、残せるかこの映画。強すぎるわ。

 

国民の洗脳が解けた後もフードで顔隠さないといけないって事実はちょっとショックを受けた。いやほんと、これがヒーローの現実か、と。

見返りを求めないって戦兎のセリフが本当に重い。ここにきてこの重さを再認識してしまって、複雑な気分でしたわね。

あぁこれで終わったかぁと思ったら、導入で助けた姉弟からの感謝の言葉。

 

あぁ、これが仮面ライダーが守った世界か…(光に消えるオタク)

 

 

仮面ライダービルド、大好きだ・・・(数秒後ジオウのはちゃめちゃに思考が停止する)

闘争を求めるって何ですか

アーマードコアと言えばといえるほどに広まった言葉がある。

 

「〇〇は闘争を求める」のコピペシリーズ

 

広まっているのは良いが、ところでこれなんで闘争なのかってことに自分自身でちょい気になったので想い出を振り返りながら考えてみた。

 

 

アーマードコアとはどんなゲームか

カスタマイズが出来るロボットアクションゲームで有り、一種のシミュレーションでもある(と勝手に思っている)。僕は4、fA、V、VDしかやってないので他はよく分らんとデス。

共通するのは、荒廃もしくは衰退し続ける世界で、傭兵として雇われた主人公が戦乱へとその身を投じていく的な話である。

まぁ、詳しくはウィキペディアにある。以上。

 

 

キーワードは戦い

長々書くこともないので本題に。

4作しか機会がなかったがアーマードコアをやってきて感じたことは、生きるために戦うとか戦うことが好きだからと言う理由でキャラも含め主人公達はAC

に乗っているわけじゃないなということ。

AC乗り達には様々な人間がいた。金のため、世界のため、国のため、誇りのため、信心のため、人類のため、自分のため、それはもう自分勝手に生きている人間ばかり。だが、これのどれもが戦いを欲していたかと言えば、そうではなかった。主人公サイドに至っては、世界を再び歩ませる、もしくは戦いを止めようとするほどだ。それなのに何故闘争を求めることがこれほどに重要視されるのか。

 

アーマードコアでは、武力により歴史が変わってきた。世界政府の崩壊数えられるほどのACによって起こったことや、タワーに眠る技術を求めて技術革新・技術奪取が盛んになった頃からも明らかだ。

そんな世界で絶対的基準というものは何か。答えはもちろん武力=戦いである。圧倒的武力による世界レベルでの秩序崩壊、そこからの社会形成までのほぼ全てがACという武力とそれを支える複数の企業により行われた。

全てが武力という基盤の上で形作られた世界において武力とは絶対なる正義の基準となったのだろう。

その証拠に、ACの力を恐れた企業達は首輪を繋げACを圧倒できるさらなる武力を欲した。このような世界では、平和と言う言葉の意味が現実と大きく異なるのだ。

 

平和と言うことは、最も強い力が全てを制御すること。

 

ここが今回の肝である。平和というモノは、大凡の場合、社会的正義の基準として判断に大きく影響するモノである。現実の社会では出来るだけ平和的な解決をできないかという面で議論し、考える事が多いことからもこれは大きく間違ってはいないはずだ(正義の反対は正義の話はまたこんがらがるのでひとまず置いておく。)

 

VDでは外交手段である言葉などもはや飾りにしか過ぎず、傭兵とJによる一騎打ちにより命運が掛かっていた。

Vでは、主任が人類の可能性として戦いを提示した。

fAでは、プレイヤーが数億人もの命を奪うことで人類種の天敵として世界の敵となる。

 

ブルー・マグノリアは、戦場こそが自分の生きる場所だと人間の身体を捨てて散っていった

 

全て、命よりも戦いをという理念の元に生まれたものである。

戦いしかなかった世界に生きた人間にとって、戦場というのは故郷だ。

この世界の根底に武力があることで、一般人でさえ戦場に生きている。この世界では戦いから逃げることはできても捨て去ることは悪なのだ。

マギーは戦場から身を引いたが、戦場に魂を囚われたままで最後にはブルー・マグノリアとして心も体も正常とは言い難いものになった。しかし、それはオペレーターをしているときよりも遙かに生を感じた。戦場は故郷だからだ。ホームシックの人間が故郷に又帰ることで解放されるように、戦場にもどることで全ての枷から解放されたからだ。

死を誰よりも嫌った男が手にしたモノがACだった。死にたくないからお前が死ねという概念はあのとき初めて享受したが、レジスタンスという戦いを真っ向から否定しなければならない立場の人間この答えに辿り着いたのは、それこそ根底に武力を肯定した世界でなければ出せなかった答えじゃないのかと考える。

 

生きることは戦うこと。戦いたいから生きるのではなく、生きているから戦い、叩くから生きている。

現実の社会では早々根ざすことはないこの価値観は、恐らくアーマードコアでは絶対的な基準となっているのだと考える。

こう考えると、身体は闘争を求めるという言葉は、単に欲望を満たすという意味ではなく、生きる上で酸素を取り込むために呼吸をすると言うレベルでの意味だろう。

生きることは戦うことだが、そこにどんな意味があるかは誰にも分らない。戦場に残るモノは何もないからだ。

好きなように生き、好きなように死ぬ。

正に戦場に生きる人間達を象徴する言葉だ。戦いの中で何を為すかは自由だし、なにか意味を見つけたら、そこで終わっても終わらなくてもいい。全てが当人の自由意志の元に戦場に立つことが肯定されている。

 

生きるから戦う。だからこそ、心ではなく身体が闘争を求める。

 

 

 

 

 

 

スピノサウルス君はいないしパークも燃えた

先週書こうと思ったら普通にすっぽかしてたけど実質今日上げれば先週分になる(ならない)。

 

ピノサウルス君が水棲肉食と言うことが確定してしまった衝撃はでかかった。思わず炎の王国の事書いた下書き消しちゃったくらいだから、他人事みたいだけどまぁ心に来たんでしょうね。

 

それでも俺はスピノサウルスのことをわかってるよ。お前は本当はジュラシック・パークのあのよく分らん背びれで存在感を放った衝撃的すぎる変な生き物じみた怖ろしい肉食恐竜だってね!(早口後方腕組み古生物オタク)

 

でも自分で決めたことは流石に今年くらいはやり遂げたいので頑張って継続しますネ。

どうでもいいけどこの前の意訳が当社比一番アクセス数多くておったまげた

 

ちなみにネタバレしかしてないから引き返すならいまだよ

Welcome to Jurassic World.

この映画、初期ビジュアルでまず椅子から落ちた。過去の恐竜の絶滅を現すかのように溶岩を吹き出すイスラ・ヌブラルの火山(こわい)、堂々たる勇姿を見せつけるレクシィ(かっこいい)、そして原題「Fallen Kingdom」(ふあん)。

ポスター見て瞬間友人に「これは、なに」と送ったのを覚えてます。

 

そんなわけでタイトルからわかるパークの終わり、そして恐竜の喪失の予兆、あぁついに平成ライダーと同じくお前らも時代が終わるときが来たか(公開年はジオウ情報公開ぎりぎり)。

 

僕はおっちょこちょいなのでポスター見て「どうなるのかな、みんないなくなるのかな」「嫌だなもっと人間さん達とじゃれ合うとことか見たいよ」とか思ってたんですが、そこで友人からストーリーについてのメッセージ。ちょっと待って、今思いを馳せるので忙しいんだ、悪いがお前との会話に割く思考領域は1mmもないんだが

 

 

インドミナスの遺伝子使われてて草」

 

 

は?

 

 

 

【速報】人間さん、学習が出来ない

 

この映画要するにまとめると

 

・火山で恐竜が絶滅しそうだからレスキュー

・実はレスキューの目的はオークションで大儲け

オーウェンたちで恐竜を守る

 

ってかんじ。凄くわかりやすく恐竜が人間の都合でモノにされてて前作の反省できてる奴が、主人公組しかいないといういつも通りだけどいつもよりもヤバい状況。

いやー、これ本当にどうまとめるつもりなのか、この上でインドミナスを超える生体兵器が誕生とは本当にどうすんだろと本気で不安になりました。

 

そして、映画を見に行ったところ、映画の各所で、過去作のレジェンドであるマルコム博士が法廷で答弁を行うシーン。そこでは恐竜の扱いについて専門家(?)として意見を求められます。そこでの発言では人間が神の領域に足を踏み入れたことに対する自身の考えと継承を答えてました。ほんま出来た人やあんた。

 

でも人間さんあほだから、そんなこと話してる内にもうやらかしてるよ(恐竜捕獲、遺伝子改造、オークション、生体兵器訓練etc)。

 

 

いつか来る終わり

パークの火山活動が活性化して、今にもイスラ・ヌブラルの恐竜たちはまた過去の歴史のように種としての終わりを迎えようとしているというのは既に分っていたストーリーの公開情報。

 

この時点で予想されたことは、過去作からの離別。

ジュラシック・ワールドって作品自体はつまるところジュラシック・パークで思い描いた世界が現実になるある意味過去のファンの妄想が具現化した過去作ありきの作品。今回の種の危機の裏側に潜むものが過去の積み上げた歴史の終わり。

いやはや、一体ナニを見せられるのかもはや見当も付かない。助けられない恐竜の死ぬ瞬間を延々と見せつけられるか、それともただ島が溶岩に呑み込まれる瞬間をスローモーションか、それとも・・・。

 

ここでメタい話になるが、CM情報だとオーウェン達は島に乗り込んで無事に脱出はしている。つまりこれはまさか全員生存フラグがとか思いました。ある程度は助からなくても、生き残った命はそのまま生きていてくれともはや考えることやめて祈る始末。

 

 

我ながらこいつ限界だぞ、引くわ。

 

さぁ覚悟は出来たぞ何でも来い。なんだって受け止めてやる、今の俺はムテキだ。

さぁ、来い。(映画開始)

 

そして始まるイスラヌブラルの終わり、人間の欲望だけで捕獲されもてあそばれる恐竜たち。

 

絶体絶命の中島を脱出したオーウェン達が見たのは、燃える火山と迫る火砕流を背に港から人間へ呼び続けるように泣き続けるブラキオサウルス

オーウェン達が見つめる中、火砕流に呑まれた彼女の鳴き声は姿は見えずとも悲鳴のように聞こえてくる。そして程なくして聞こえてくるのは島の火山活動によるうなり声だけになった。

 

まるで第1作でグラント博士を迎えた時のように、その巨体を波止場に現したときの高揚感と喪失感。勝手に人間の都合で生み出されたのに、最期は人間の都合の取捨選択で終わりを迎える。

 

劇場で見てて何の感情も起きないで何が起こったかさっぱりだったのは良く覚えていて、それはもうエンドゲームでくっそ泣いたのと同じくらい感情迷子。こんな最期って許されるんですかね。制作へのインタビューで、あれは正にグラント博士を迎えたあのブラキオサウルスであることが確定してしまい、今もまだあのシーンを思い返すと心が苦しい。あなた方は鬼か。

 

炎の王国、こんだけ覚悟決めておいて見せつけられたのはどうしようもないジュラシック・パークという時代の終わり。何を考えて準備したとしてもこれは無理です耐えられないです。あれだけ夢みた恐竜の楽園をこうも丁寧に完膚なきまでに粉々にされると玩具を取り上げられた子どものように泣くしかなかったね。

 

 

ようこそ、ジュラシック・ワールド

インドミナスの跡継ぎについてはインドミナスの時と同じような感想しか出ないのでカット。

 

この映画、先に述べたように、完全に過去作からの離別を描ききったある意味凄い作品でした。正直ジュラシック・パークシリーズじゃなかったらこんな過去へのエンドマークは荒れまくりじゃなかったのかなと心配になるほどには。

 

まぁ、世の中終わりがあれば始まりもあるといいますよね。炎の王国、原題の意味を考えるに恐竜の界(生物学用語らしい)の終わりを暗喩していると見たんですけど、これはまさしく映画前半のイスラ・ヌブラルの終わり。

それじゃあ始まりとは何だ?と言う話が、この映画の重要なラストシーン、研究所に収容された恐竜を助けるために人間界へ放つ。

そう、正にジュラシック・パークは狭い無人島の枠組みを超えて本当の意味での大自然に根付く命として始まりました。

過去の地球の覇者達が名実ともに地上に舞い戻ってきたんです。

全てが地球に生きる命として輝いていて、前半の終わりが嘘のように綺麗でした。

ジュラシック・パークシリーズは幼稚園からの付き合いで今も続く恐竜への浪漫の原動力。

その終わりがこうして盛大に終わり、新しい時代の幕開けに立ち会えたことはとても喜ばしいことだと感じている。悲しいけど。

 

スピルバーグ監督ありがとう!次回作なんかこのご時世で怪しいけど次も頼むぜ!

 

 

 

 

 

映画の終わりに、マルコム博士による意見陳述。恐竜たちの解放という人類にとっての大事件に対して彼は同じように言葉を紡ぐ。

 

レクシィが動物園に侵入し、陸上肉食動物の代表格と言える百獣の王ライオンと競うように雄叫びを上げ、

モササウルスが波に紛れてサーファー達の下に影を現す。(ここ多分歴代で一番怖かった)

そして、ラプトル最後の一頭であるブルーが地上を駆ける。

 

 

スクリーンには恐竜たちが人間の生きる世界で自由を手に入れたシーンが流れる中、彼は口を開く。

 

「Welcome to Jurassic World.」